大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 平成8年(ワ)1099号 判決

主文

一  原告の本件特許権に基づく差止請求の訴えを却下する。

二  原告の本件不法行為に基づく差止請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、平成一〇年七月二一日まで、別紙目録記載の医薬品を販売してはならない。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告の答弁

1  本案前の答弁

原告の訴えをいずれも却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案の答弁

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、原告が特許権に基づき、もしくは被告の不法行為を理由として、被告に対し医薬品の販売の差止を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  原告も被告も、共に医薬品の製造販売を目的とする株式会社である。

2  本件特許権

原告は、メシル酸カモスタットの物質及び医学用途(膵臓疾患治療剤、抗プラスミン剤)について次のとおり特許権を取得し(以下、これを「本件特許権」といい、右権利に係る特許発明を「本件特許発明」という。)、右特許権に係るメシル酸カモスタット製剤(商品名フオイパン錠)の販売を行っている。

(一) 特許番号 第一一二二七〇八号

発明の名称 グアニジノ安息香酸誘導体及び該グアニジノ安息香酸誘導体を含有する抗プラスミン剤と膵臓疾患治療剤

出願日 昭和五一年一月二一日

公告日 昭和五七年三月二五日

登録日 昭和五七年一一月一二日

存続期間終了日 平成八年一月二一日

(二) 本件特許発明の技術的範囲

特許公報における本件特許権の特許請求の範囲の記載は、以下のとおりである。

(1) 一般式

〈省略〉

(式中Zは炭素―炭素共有結合メチレン基エチレン基及びビニレン基よりなる群から選択された基を表しR1とR2は同一でも異なってもよいが各々水素原子又は低級アルキル基を表す)で示される化合物又はその薬理学的に許容できる酸付加塩。

(2) カルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(3) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(4) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(5) N、N―ジ―n―プロピルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(6) N―N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(7) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)シンナマート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(8) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(pグアニジノベンゾイルオキシ)フェニルプロピオナート又は薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(9) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩である前記(1)記載の化合物。

(10) 一般式

〈省略〉

(式中、Zは炭素―炭素共有結合、メチレン基、エチレン基及びビニレン基よりなる群から選択された置換基を表し、R1とR2は同一でも異なってもよいが各々水素原子又は低級アルキル基を表す)で示される化合物又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する抗プラスミン剤。

(11) カルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(12) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(13) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(14) N、N―ジ―n―プロピルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(15) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(16) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)シンナマート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(17) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルプロピオナート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(18) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(10)記載の抗プラスミン剤。

(19) 一般式

〈省略〉

(式中、Zは炭素―炭素共有結合、メチレン基、エチレン基及びビニレン基よりなる群から選択された置換基を表し、R1とR2は同一でも異なってもよいが各々水素原子又は低級アルキル基を表す)で示される化合物又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する膵臓疾患治療剤。

(20) カルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

(21) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

(22) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

(23) N、N―ジ―n―プロピルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)ベンゾアート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

(24) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

(25) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)シンナマート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

(26) N、N―ジメチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルプロピオナート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

(27) N―メチルカルバモイルメチルp―(p―グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート又はその薬理学的に許容できる酸付加塩を含有する前記(19)記載の膵臓疾患治療剤。

3  被告は、別紙目録記載の医薬品(以下、「被告製剤」という。)につき、平成八年三月一五日、薬事法一四条に定める製造承認を受け、現在、右製剤の製造・販売の準備をしており、被告製剤は、本件特許権と同一のメシル酸カモスタットを含む医薬品である。

4  被告製剤は、いわゆる医療用の後発医薬品に属するものであり、その製造承認の申請には、薬事法施行規則(以下、「施行規則」という。)一八条の三により次の資料を添附することが必要である。

(一) 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として規格及び試験方法に関する資料

(二) 安定性に関する資料として加速試験に関する資料

(三) 吸収、分析、代謝及び排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料

(四) 当該有効成分の毒性、薬理作用、吸収分布、代謝、排泄及び臨床試験等に関する文献等のリスト及びその内容、概要並びに評価結果の資料

5  右加速試験については、六か月以上の試験期間が要求されている。

6  被告は、本件特許権の存続期間満了前から被告製剤の販売に向けて準備を開始した。

二  争点

1  特許権者は、特許権の存続期間満了後においても、当該特許権に基づく差止請求権を有するか。

2  不法行為の効果として差止を請求することは、可能であるか。

3  被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に含まれるか。

三  当事者の主張

1  原告

(一) 原告は、本件特許権の存続期間満了後においても、被告に対し、本件特許権に基づき、被告製剤の販売差止請求権を有する。

(1) 被告は、加速試験を実施するため、本件特許権の対象であるメシル酸カモスタットを製造、輸入又は購入して、被告製剤を製造した。

そして、加速試験については、六か月以上の試験期間が要求されており、医療用の後発医薬品の製造承認の標準的処理期間は、都道府県知事が承認申請を受理した日から二年を要するので、右試験に着手して製造承認を得るまでには少なくとも二年六か月を要する。したがって、被告は被告製剤について薬事法一四条の製造承認を得た平成八年三月一五日の二年六か月以上前から販売に向けて準備を開始した。

(2) 特許法六九条においては、特許権の効力は試験又は研究のためにする特許発明の実施には及ばないと定められているが、右規定は技術の進歩を目的とした規定であるから、本件のように専ら販売を目的とし、それに必要な製造承認を得るための試験は、右の「試験又は研究」には当たらない。したがって、被告が行った試験は、本件特許発明の実施そのものであって、違法に本件特許権を侵害するものである。

(3) 被告が本件特許権を侵害することなく被告製剤の製造・販売の準備を行うためには、本件特許権の存続期間満了日の翌日である平成八年一月二二日以後に製造承認申請を受けるための各種試験を開始することとなるから、製造承認を受けることが可能となるのは、早くとも、その二年六か月後である平成一〇年七月二一日である。

(4) 被告は、本件特許期間中に侵害行為を行い、その侵害行為の結果に基づき製造承認を取得し、特許期間満了直後から被告製剤を販売して利益を得ようとするものである。このように特許期間中の違法な行為により特許期間満了後にその成果を得ようとする場合には、原告は、本来特許期間中の侵害行為がなかったとすれば、現在あるであろう姿に戻すという限度において、いわば特許期間満了後の特許権の余後効力として、特許期間満了後も差止請求権を行使できると解すべきである。

このような効力が認められる理由は、次のとおりである。

〈1〉 本件特許権の対象は、製造販売の開始について薬事法の規制を受ける医薬品であるから、原告は、特許期間満了後も、試験及び製造承認の事務処理のために必要な期間である、少なくとも二年六か月間は、他業者による後発品医薬品の参入を受けず、市場を独占できる利益を有している。ところが、被告は、本来特許期間満了後に着手すべき後発品発売のための準備行為を、特許期間満了に合わせて二年六か月以上前から行い、いわばフライングスタートを切っているのであって、このまま推移すれば、被告の侵害行為がなければ得られたであろう特許期間満了後約二年六か月間の原告の独占的利益が侵害される。このような侵害行為(フライングスタート)に対しては、侵害行為のなかった状態すなわち特許期間満了後からスタートした状態に戻させることが最も有効かつ合理的である。そこで、原告は、特許権侵害行為がなかった状態に戻すため、平成一〇年七月二一日までの間の販売差止を求めているに過ぎず、それ以上のものではない。

〈2〉 新薬を研究開発し、薬事法上の製造承認を得て販売に到るまでには、多大な労力、年月、費用を必要とするのであり、本件特許権に係る製剤を原告が販売するについても、昭和五一年一月二一日に特許出願をしてから、同六〇年一月三一日に製造承認を取得するまでに九年を要している。これに対して、他の業者が後発医薬品を開発する場合、準備期間は概ね一年間、これに要する費用は約二〇〇〇万円程度で済むといわれており、原告の払った労力に対比すれば格段に容易である。それにもかかわらず、被告は、製造承認申請に必要な各種の試験・研究を原告に察知されないように秘密裡に行っていたため、原告は、被告が製造承認を取得するまで被告の侵害行為を知ることすらできなかった。仮に、特許期間中に侵害行為が発見されていれば、特許法一〇〇条に基づき、製造・販売の差止と侵害行為を組成した物の廃棄、侵害の行為に供した設備の除却その他の侵害の予防に必要な行為を請求することができる結果、被告は特許期間満了後少なくとも二年六か月間は被告製剤の販売を行えないこととなる。本件のように特許期間満了後に初めて侵害行為が発覚した場合に差止請求ができないとすれば、被告の権利侵害を追認する結果となるとともに、特許期間満了の前後で救済内容に不均衡が生ずる。そして、被告は被告製剤の製造・販売について何らの制約も受けないことになってしまい、多大な労力と費用を投じて新薬を開発する者と後発医薬品を開発する者との間に著しい不公平が生じ、また、特許法を遵守し、特許期間満了後から新薬を開発しようとする後発品メーカーとの間でも著しい不公平を生じ、特許法がその目的としている発明の保護が不十分なものとなってしまう。更には、秘密裏に準備行為を行ってきた被告が、偶々期間中に発見されなかったことを奇貨として、特許期間の満了後であることを理由に差止請求権は認られないとの主張を行うこと自体、クリーンハンドの原則や信義則に照らして、許されないものである。

(二) 被告は本件特許権侵害という不法行為を行い、これによって原告の利益は著しく損なわれるのであるから、原告は、被告に対し、不法行為に基づく差止請求として、平成一〇年七月二一日まで、被告製剤の販売の差止を求める。

前記のように、原告は本件特許権の存続期間満了後少なくとも二年六か月間は後発医薬品メーカーの参入を受けず市場を独占できるという利益を有している。被告は、本件特許の存続期間中に各種の試験・研究を行い、その成果に基づいて製造承認を取得し、期間の満了を待って市場に参入しようとしているのであって、これら一連の違法行為によって原告の独占的利益が侵害されたのであるから、原告は不法行為の効果として被告製剤の差止を請求することができる。

(三) 被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に属する。

2  被告

(一) 特許権に基づく差止請求について

(1) 本件特許権は、平成八年一月二一日に存続期間が終了したことにより消滅したのであるから、本件特許権に基づく差止請求は、成立する余地がない。したがって、本件特許権に基づき差止を求める訴えは、訴えの利益を欠くものである。

原告は期間満了前の準備行為の違法を主張するが、本件特許権の期間満了前に被告がどのような行為を行っていようとも、右期間満了に伴って差止請求権が消滅することに何ら影響を及ぼすものではない。

(2) 何人も特許期間満了後における発明の実施は自由であって、期間満了直後から市場へ参入するためにその準備行為をしておくことは当然であって、特許法及び行政上もこのような準備行為を肯定としている。すなわち、

〈1〉 平成六年の特許法の改正により、特許権の存続期間が一律に二〇年に改正され、これに伴い右改正法施行の際存続し従来公告から一五年で満了していた特許権の期間が自動的に延長されることになった。そこで、右改正法附則は、その五条二項において、「この法律の施行がないとした場合におけるその特許権の存続期間満了日後、その準備をしている発明及び事業の範囲内において、通常実施権を有する。」と定め、旧法下の権利満了に備えて実施準備行為をしていた者に通常実施権を認める利益権衡の規定を設けている。

〈2〉 厚生省は、従前より、特許期間後の実施に向けての製造承認申請を特許期間中に受理していたが、平成七年六月二八日付けの各都道府県薬務主管課宛の連絡により、先発品の特許期間満了日前の後発品の承認申請の取扱について、「特許期間の終了を見込み、承認審査の標準的事務処理期間を考慮して後発品の承認申請を行うことは差し支えないものとする。」との通知を出している(ちなみに、製造承認の標準的処理期間は、現在においては二年ではなく、約一年半である。)。

したがって、特許期間の終了前の申請準備行為が法的に問題にならないことが明白である。

(3) 特許法六八条は、特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有すると規定しており、特許権者が専有する権利は「業としての実施」であるから、第三者の行為が「業としての実施」に該当しなければ、特許権を侵害するとはいえない。そして、第三者が特許期間中に市場に参入しない限り、他製品の開発のために試験研究をしたり、特許期間終了後の実施に向けて各種の準備行為をしたとしても、特許権者は法が授与した権利を何一つ侵されるものではない。

本件のような製造承認申請のための準備行為は、当該医薬品を患者に投与するのではなく、健康な人間に投与し先発医薬品と比較して有効成分の血中濃度を測定する試験であり、先発医薬品と競合して患者に投与して治療する行為ではないから、市場競争に参画するものではなく、この点において個人的実施と変わるところがない。したがって、製造承認申請のための準備行為は特許法六八条にいう「業としての実施」に当たらない。

(4) 準備行為は、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する。同条は、「試験又は研究」の目的まで限定している訳ではなく、その目的は種々雑多であって一定の概念に固定することはできないのであって、例えば後発医薬品の製造販売業者が先発医薬品とその薬効成分を同一にする製剤を製造する場合も、単に承認申請の目的のみで製造するのはなく、服用しやすいように剤型を工夫したり、安定化を図ったりするなど諸々の研究や試験を行うのであり、その過程で、製剤化に関する新たな技術が開発されることも少なくない。そして、製薬産業における後発会社が行う準備行為は、たとえそれが製造承認申請に向けてのものであったとしても、自ら製造し将来市場に出そうとしている製品の内容、性状、機能などを調べるものであるから、まさに典型的な試験行為である。

(5) 仮に、特許期間満了後における製造販売に備え、特許期間中に行う製造承認に向けての準備行為が特許法六八条の「業としての実施」に該当し、かつ、同法六九条の「試験又は研究のための実施」に該当しないとしても、特許権者が独占の利益を享受するのは権利存続期間中における市場競争の場においてであり、被告製剤が市場で原告製剤と競合することはないから、原告に何ら損害は生ぜず、したがって、被告の準備行為は実質的違法性を欠くものである。

(二) 不法行為の効果としての差止請求について

不法行為は、特許権が存在しその侵害行為があって初めて成立するものであって、特許権消滅後の行為が特許権侵害という不法行為を構成するということは背理である。本件特許権は、平成八年一月二一日に存続期間が満了したことにより消滅したのであるから、差止の対象となるべき不法行為は存在せず、したがって不法行為の効果としての差止請求を求めることも許されないのであって、本件差止を求める訴えは、訴えの利益を欠くものである。

(三) 被告製剤の内容は、「融点が一九四度から一九八度であって、式(請求原因2(一)記載のものと同じ。)で示されるN、N-ジメチルカルバモイルメチル四-(四-グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタート モノメタンスルホネート(一般名・メシル酸カモスタット)を有効成分として含有し、慢性膵炎における急性症状の緩解を効能又は効果とする経口蛋白分解酵素阻害剤(商品名・オーメット錠一〇〇)」である。したがって、被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に含まれない。

第三  争点に対する判断

一  本件特許権に基づく差止請求の可否について

1  本件特許権の存続期間の終了日は、平成八年一月二一日であるから、本件特許権は、同日の経過をもって消滅したものである。

2  特許法一〇〇条一項は、特許権者又は専用実施権者は、自己の特許権又は専用実施権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができると定めているから、現在特許権を有している者又は専用実施権を有している者が、現在その権利を侵害され、又は将来においてその権利を侵害されるおそれがある場合にその侵害の停止又は予防を請求することができると解するのが文理上素直な解釈である。

次に、特許法六七条が特許権の存続期間を一定期間に限った趣旨は、特許権の付与によって発明を保護するとともに、一定期間経過後は発明を自由に利用できるようにすることによって産業の発達を阻害しないように配慮したものである。

そして、特許法一〇〇条に定める差止請求権は、特許権によって発明者の利益を保護するための最も直截的かつ効果的な手段であり、特許権に付与された主要な効力の一つである。したがって、仮に特許権の存続期間を過ぎてもなお特許権に基づき差止請求権を行使することができるとすれば、特許法六七条に定められた特許権の存続期間を越えて特許権の効力の存続を認めることに他ならず、右法定期間を延長することと同様の結果をもたらすものである。しかし、このような結果は、特許権の存続期間が法定され、これを延長し得る場合も特許法に定める場合に限定されている(特許法六七条二項参照。)ことと矛盾することは明らかである。

そこで、以上のような特許法一〇〇条の文言、特許権に存続期間が定められている趣旨、差止請求権の本質等に基づけば、特許権の存続期間の満了後は、最早特許権に基づく差止請求を認めることはできないというべきである。

3  ところで、原告は、被告は特許期間中の違法な行為により特許期間満了後にその成果を得ようとするものであるから、本来特許期間中の侵害行為がなかったとすれば、現在あるであろう姿に戻すという限度において、いわば特許期間満了後の特許権の余後効力として、差止請求権を有すると主張する。

しかし、原告が主張するような特許権の余後効力は、本件特許期間中に行った被告の準備行為の適法性を検討するまでもなく、これを認め得るような法的根拠は全くないから、独自の見解として採用することはできない。

また、原告は、特許権の存続期間満了後に準備を始めた場合、他の業者が後発医薬品について製造承認を得るためには少なくとも二年六か月を要するのであるから、その期間中は、原告が本件特許に係る医薬品の製造・販売について市場を独占できる利益を有するとし、その独占的利益の侵害を防止するために侵害行為のなかった状態に戻すことを特許権の効力として認めるべきであると主張する。

しかし、特許法が特許権の存続期間を法定しているのは、特許権者が有する経済的利益も、右期間内に限って法的に保護する趣旨であり、特許権の存続期間満了後における利益までも保護するものではなく、また、医薬品につき製造承認を得るために通常二年六か月が必要であり、そのため医薬品につき特許権を有していた者が、後発医薬品の発明者がこれにつき特許を取得するまで、その存続期間満了後も右期間に相当する間利益を受けることがあるとしても、右利益は事実上のものにすぎないから、これをもって、特許権に存続期間満了後も差止請求を認める根拠とすることはできない。

原告が本件差止請求を認めるべき根拠として挙げるその他の事由は、すべて事実上の利害関係にすぎないのであって、いずれも、本件特許権の存続期間の満了後に差止請求を認めるべき理由とはなりえないものである。

なお、原告は、被告は本件特許期間中に秘密裡に準備行為を行ってきたのであるから、特許期間の満了後であることを理由に差止請求権は認められないとの主張を行うことは、クリーンハンドの原則や信義則に照らして許されないと主張するけれども、そもそも被告が原告に対し本件特許期間中に準備行為を行っていることを報告すべき義務はなく、また本件特許権の存続期間の満了後は、原告は最早差止請求権を有しないのであるから、原告の右主張は、失当として、採用することができない。

4  したがって、本件特許権に基づく差止請求の訴えは、不適法である。

二  不法行為の効果としての差止請求について

不法行為の効果として差止請求が認められるためには、不法行為による権利の侵害が現に継続しているか、又は将来において存在するおそれが高い場合でなければならないが、原告が主張する権利侵害の内容は本件特許権の侵害であるところ、前記のように本件特許権は存続期間の満了により既に消滅しているのであるから、本件において不法行為の効果としての差止請求を認める余地はない。

なお、原告は、特許の存続期間の満了後二年六か月は市場を独占できる利益を有すると主張しているが、原告の主張する右利益は、前記のように事実上のものであって、法的に保護された利益と認めることはできないから、右利益の侵害を理由として、被告が不法行為を行うものと認めることはできない。

したがって、不法行為に基づく差止請求は、理由がない。

三  よって、本件特許権に基づく差止請求の訴えは、不適法として却下し、不法行為に基づく差止請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(別紙)目録

左式で示されるN、N-ジメチルカルバモイルメチル四-(四-グアニジノベンゾイルオキシ)フェニルアセタートモノメタンスルホネートの化合物(一般名「メシル酸カモスタット」を含む医薬品(商品名「オーメット錠一〇〇」)。

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例